2011年05月19日

あれから6年

3月中旬から2ヶ月間、信じられないほどの晴天が続いていたのですが、
ここ数日は曇り空が広がって時々雨もぱらついたりして、
ようやく落ち着いて勉強に取り組む気持ちになってきました。
これまで、毎日がピクニック日和だったのは嬉しい反面、
勉強にとっては明らかにマイナスだったので、今日は曇り空に感謝したくらいです。

さて。いま、あるプログラムに応募するために履歴書を書いていて、
その「ボランティア経験」欄に書き記した

 2005年 三宅島帰島支援ボランティア

について、更なる情報を書き加えようと何気にネットで検索したら、
三宅島帰島5年、復旧から復興へ、という2010年の映像が目に付きました。

(5分)

さらに、最近島に戻ってきて、島の農業や文化体験ツアーのビジネスをおこして
三宅島をもっと面白い島にしたいと奮闘する25歳女性のドキュメンタリーも。


6年前の2005年2月に避難指示が解除され、ぞくぞくと帰島する人たちの
生活再建のお手伝いをするために私が三宅島に出かけたのは5月のこと。
一週間、いろいろな家庭にお邪魔して、
住居まわりに積もる火山灰をスコップですくって取り除いたり
避難していた4年半の間に伸び放題になっていた1メートル以上の雑草を刈ったりする
作業を、朝から夕方まで汗だくになりながらやりました。

作業の合間の休憩時にはお茶を飲みながら、
東京避難中の苦労話や雄山噴火前の三宅島の話などを聞いたりして、
2003年から東京で暮らしていた自分が、
三宅の人たちの痛みも知らずにあまりに無関心に過ごしてきたことを
申し訳なく思ったものでした。
この時の非難解除も一部地域に限られ、まだ人が戻っていけない集落を車で走り抜けましたが、
一面に白く枯れた木々が広がり、人気のなく荒れ果てた集落は見るに無残でショックでした。

船で三宅を去るときは、「これからもどんな形でもいいから三宅島とつながっていこう」
なんて心の中で誓いながら、まだ火山ガスの立ち上る島の影が見えなくなるまで
いつまでも眺めていました。


ところが、ところが。
時の移ろいとともに私の興味関心もいろんなところに移ろっていき、
今回、この映像を見るまでは、すっかり三宅島のことなど頭の片隅から消えていました。
もちろん新聞やネットで三宅島のニュースを聞いたり見たりすると気には止めるけど、
自分から敢えて情報を求めていったのは少なくともこの5年はなかったのではないかと。

あの時の決意は何だったのでしょう。
まあ、人間は忘れやすい生き物なので仕方ないとはいえ、
何だかその時々で調子よく、優等生みたいなことを思っては
すぐに別の関心ごとに飛びついていく、自分の人生がその繰り返しだけの
薄っぺらなものに思えてきて何だか情けなくなりました・・・。


と、まあ、自己反省はここまでにして。
ただ、今回の映像を見て、やはり一週間という短い期間とはいえ、
住民が帰島したばかりの6年前の三宅島を体験させてもらった身として、
例えばパッションフルーツ栽培や村体験ツアーなどの新たな産業づくりに燃える
地元の人の姿を知れて、ただ素直に嬉しさがこみ上げてきたのでした。

三宅島特産のくさやも懐かしいな〜。
お土産に買って帰ったんですが、親からは「くさやはいらない」と拒否され、
結局誰にあげたのか、全く思い出せません・・・。


いろいろな理由で帰島できずに東京で生きる覚悟を決めた人や、
帰島しても観光客や漁獲高が以前の水準に程遠く苦しい生活を強いられている人など、
いずれにしても厳しい状況は続いているわけですが、
この復興の息吹を何とか確実な復興へとつなげていって欲しいなと思います。
(また調子のいいことを書くと後で自己嫌悪に陥りそうですが・・・
またいつか三宅島に遊びに行きたいなぁ・・・とちょっとつぶやいてみる)

そして、4年半にわたる避難生活の後、6年が経過した三宅島の姿を知って、
すぐに頭をよぎったのは、原発事故によって避難を余儀なくされている福島の人たち。
いつになったら復興段階に移れるのでしょう


  *  *  *

こんな話の後に書くのは気がひけるのですが・・・。
先日4ヶ月ぶりに体重計に乗ったら・・・なんと4kg●!

さて、●の中には何が入るでしょう?(・∀・)

posted by ともちゃん at 09:48| Comment(7) | アホ日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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