2011年04月08日

いま思うこと

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また1ヶ月ほどご無沙汰していました。
前回のブログを書いたのが東北の震災の前日。
あれからあと数日で1ヶ月が経つのかと思うと、
なんだか長かったような、あっという間だったような、
不思議な感じがします。

あまりの被害の大きさに、失った2万7千という命に、
いつ事態が収束するのか見通しの立たない原発の恐怖に・・・
すべてが自分の想像をはるかにこえていて、
メディアの情報を通して津波当日や現在の状況が明らかになるにつれて
少しでも現場のリアリティに近づけてると思えば
逆に現実の凄まじさに、ますます被災地との距離を感じます。

こちらでも、最初の1週間〜10日間は日本の報道ばかりでしたが
リビアへの攻撃が始まったあたりから急激に減り、
いまは新しい動きがあれば(たとえば今日の大きな余震とか)報道される程度。
自国の軍隊が他国を攻撃するわけだから、それは重要度が高いのは分かる、
でもこうやって少しずつ人々の関心が薄れていってしまうことに
一抹の寂しさと不安を感じます。


ただ、今回の震災を通して、世界中から寄せられたシンパシーには心を動かされました。
私のいる大学でも、学部生の子を中心にチャリティイベントや募金活動をしていて
その企画に本当に多くの教員、学生が協力してくれています。
募金額も、これまでに7000ポンド以上(100万円近く)集まったそうです。
学部長からはすぐに励ましと、最大限の支援をする旨のメールが届きました。
そういう心づかいに胸が熱くなりました。

海外にいても日本国内にいても、被災地のために何かしたいけどできない
もどかしさは誰しも持っていると思いますが、
海外にいると、日本国内に漂う喪失感や復興への意気など、
いまの「空気」を共有できないという焦りがあります。

自分の国がこんな非常事態なのに、
自分で情報を探しに行かないと、ここで普通に生活していたら
本当にあの震災が起きて、大勢の人が家族や友達を失って悲嘆に暮れていて、
いまも行方が分からない人、避難所生活が続いている人、
先の生活の見通しが立たない人、終わりの見えない原発の影響に脅える人がたくさんいるということを、現実のことのように感じられなくなります。
日本にいれば、新聞やテレビや人との会話から否応なしに東北のことが
頭から離れないと思うのに、ここにいると恐ろしいことに忘れてしまえるのです。

特に天気が良くて、空には一つも雲がなくて、
学生が芝生の上でビールを飲んだりボールで遊んだりしてて
そんな中自分もピクニックなんかして
海外の友達とたわいもない会話を楽しみながらのんびりしていると、
東北のことは頭からすっかり抜けてしまいます。
そしてその後には、そんな自分に罪悪感を感じたりしてしまいます。

この環境をどうにかすることはできないのだから仕方ないと割り切る一方で
でも日本国民として、できる限りのシンパシーを共有できるように
できる限りの情報に接していきたいというのがいまのところの結論です。


それにしても、やはりまだ信じられません。
そんなこと言ってる場合じゃないのは分かっているけど、
2万7千という命が、何十という町が、一瞬にして消えてしまったことに、
いくら映像を見ても、一人ひとりの物語を読んでも、いまだに信じられない。
でもこれが本当だというなら、ただただ、亡くなった方のご冥福と、
破壊された町や人々の生活の復興をお祈りします。


   *  *  *

長くなりましたが、最近の私は、今学期の授業が先週ですべて終わり、
課題に追われる毎日です。今日、一つ提出して、課題も残すところ一つ。
それを提出したら少し休憩して、5月初旬にある試験勉強、試験後は修論に取り組みます。

こちらはすっかり春爛漫。桜や水仙が咲き誇っています。
サマータイムにも切り替わり、日が長くなりました。19時でもまだ明るい。
ここ数週間好天が続いて、日中は25度をこえることも。
大学に隣接する湖沿いの芝生の上で寝っころがると気持ちいいです。

振り返ると、雪が降ったりして寒かったのは去年の11月〜12月下旬までで、
年末からは温暖な気候が続いていて、冬らしい冬をもう一度体験することなく
気がついたら春になっていました。


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↑キャンパス内。右手に見える丘は、某友人が呼ぶところの「アングリ山」。
「山」は言い過ぎだけど、ちょっとだけ見晴らしがいいのでぼーっとするにはもってこいの場所

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↑水仙。これもキャンパス内。ここ1ヶ月以上、まちに出てません。

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↑キャンパス内に湖があるので、天気のいい日のランチは湖畔で。

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↑最後の授業のあとに記念撮影。これはrural policiesというモジュール。
気がついたら「あれ、今日が授業最後?」という感じで、びっくりしました。
これが人生の中で、大学で受ける最後の授業やもしれんのに

posted by ともちゃん at 10:22| Comment(8) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
岐阜の桜も満開できれいだよ。

震災は、心が痛むね。
岐阜にいると、全く揺れを感じなかったり、普段の生活からほとんど変化を感じられないから、テレビの世界になりつつあるよ。

本当は、それじゃああかんって思うんやけど、じゃあ、どうしたらいいのか…

難しいね。
Posted by あん at 2011年04月08日 12:12
やっぱり 時は過ぎていく 今日は主人が大阪の同窓会に行った ねずみ年の人で学童疎開に行ったことのある人で 話はその時のことでもりあがるとか たまたまテレビで「24の瞳」をやっていたので録画して後から見せたら えらく感激して みんなに話すと言っていた(^_^) けっこう自分と重なることがあるのね。
Posted by デジママ at 2011年04月08日 13:51
こちらも、やっと春の兆しが。
今年はいつも以上に、桜の開花が待ち遠しいです。

昨夜また11日に次ぐ、強い地震がありました。せっかく復旧したライフラインが宮城でまたストップしてしまいました。早く平穏な日常が戻ることを願うばかりです。

悲しいニュースが多いですが、苦境にも負けず、前向きに頑張る人々の姿には、こちらも勇気づけられます。

私も、出来ることから少しずつ、そして一時的にではなく、長期的なサポートを何らかの形でしていきたいと思います。
Posted by Haruka at 2011年04月08日 14:32
>あんちゃん
そっか海外にいなくても、被災地から離れてるとそういう心理的な距離があるんだね。このギャップをどうやって埋めればいいのか、そもそも埋めることは可能なのか、埋められないとしたらどうしたらいいのか、本当に難しいね。でも関心を持ち続けて考え続けること以外にいまできることはないんだろうね。

>デジママ
学童疎開の話かーそりゃまた随分昔の・・・笑 
でもそれこそあの大きな戦争に負けて焼け野原から日本は復興したんだから、東北だって、時間はかかっても、きっと復興できるって信じて、少しずつ前に向かってほしいね

>はるちゃん
そうだよね、いまはマスコミがまだ連日のように報道して注目が集まってるけど、そのうち世間は忘れていくものだから、長期的な目でサポートしていくのがすごく大事だと思う。
神戸の震災後に、神戸大学の学生がボランティアセンターを立ち上げて、長期的に地域を支援する仕組みを作ったのね。その活動に私は99年(地震の4年後)から参加してて、高齢者の生活サポートに関わらせてもらってたの。そういう仕組みつくりが進むと、長期的な支援も可能になってくると思う。
Posted by ともちゃん at 2011年04月10日 09:12
今 洋子ママが手提げバックを2つ作って被災地の子に送った パパは被災地に手伝いに行った なかなかやるのうσ(^^)
Posted by デジママ at 2011年04月11日 17:00
お久です。ともちゃんの実家の近くに住んでました、みどりです。この間まで、第2子出産の為実家に戻ってまして、ともちゃんのご両親を見かけて懐かしくなり、ブログを拝見しています。仕事と家事育児でパソコンに向かっている時間が全く無く、何年ぶりか、ブルキナのブログからこちらへやってきました。
地震が起きて真っ先に思い浮かんだのはお姉さんのこと。今もまだあちらに住んでいるのかな?大丈夫だったのか心配していました。
ところで、今イギリスにいるんだね。元気そうでなによりです。
今は育休中でパソコンも見れるようになったので、またアクセスするね!
Posted by みどり at 2011年04月13日 14:54
俺は東京で生きてる。
毎日のように揺れるが、東北の苦しみの比じゃない。
estamos contigo.
Posted by yoshimochi at 2011年04月14日 21:30
>デジママ
洋子ママに電話したら、實パパが被災地に行ったことはどうやら秘密だったらしいよ。秘密にする理由はよくわからないけど、たぶん心配してほしくなかったんだろうね。

>みどりちゃん
お久しぶり!ふたり目生まれたみたいで、おめでとう!男の子?女の子?ひとり目(みさきちゃん)は確か2004年か2005年の秋頃だったよね。ということは、今年もう小学生だったりするのかな?いやはや、私が東京やらアフリカやらイギリスやらへ行っている間に着実に生活や家族の基盤を作っていて羨ましい限りです。帰ったらぜひ会わせて♪
仙台の姉は、家族も家も無事だったけど、余震も続いてたし生活物資が不足してたから2週間くらい岐阜に避難してたよ。でも仕事があるから今月はじめに仙台に戻りました。また大きい余震があったりするから心配です。
でも心配してくれてありがとう。

>yoshimochi
みどりちゃんに続き、ダショウ・ダチュウ仲間からコメントもらえて嬉しいような、なんだか照れくさいような?
地震が続く中、高層ビルだらけの東京に住むのはある意味東北とはちがった恐怖があるよね。ほんと、気をつけて。
estamos contigo!
Posted by ともちゃん at 2011年04月17日 18:44
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